あいかわらず名古屋のまちは、楽しい。
いまはとくに賑やか。
イベントがあれもこれもと、花ざかりだ。
あいちトリエンナーレはまちを彩り、あちこちあるアートをさがしに、かくれんぼをしているかのように皆がまちを歩く。
COP10のはじまりとともに、名古屋のおもてなしは最高潮。
オリエンタルムードあふれる武将やら屋形船やら神輿やら伝統芸能が、まちのあちこちで見られたり。
市民参加のイベントも多い。
名古屋は技がある団体が多いため、市民主体のイベントも多いのだ。
紹介しつくせないほど、あちこちで何かが起こっている今、10月。
楽しいはず。なのに、愛知万博のときと比べて、100%楽しめない。
ためらいがあるのは、…中国。
先週末の中国の反日デモの映像は、その背後にある複雑なものに、ちょっとテンションが下がる。
さいきんは世間話の折に、何かとでる中国の話題。
以前、このブログにも中国のひとがコメントくれたな~、あのときは平和だったぜい。
先週末おこなわれた中国による反日デモは、いよいよ内陸部にカメラがすすみ、その背景にある内情を伝えるものだった。あれを見ると、中国もそうとう切ないような。
一方では、グルメ三昧、何十万円ものブランド品をどっさり買う中国人富裕層が中国都心部にたくさんいるのに(だって日本人は、安いものブームなのに…ちょっとウラヤマシイゾ)。
デモにでた人々は、一人っ子政策で、家族の期待を背負って苦労して大学を卒業しても、就職難で仕事がなく、大学をでたのに安い工場の仕事しかなく、家も買えず、家を買えないため結婚もできず…の可能性大な、中国内陸部の若者たちだろうと言われている。
知性も努力もないがしろにされたら、夢がもてなかったら、そりゃ怒れるだろう。
とはいえ、中国はよその国だし、よその人。
デモもいいけど(暴力的でなければ)、結局は、中国のひとたちが、自分たちで解決して、協力しあって暮らしやすい社会をつくりあげなきゃ、しかたあるまい。中国の富裕層が地方に会社興して、雇用促進とか、内需拡大とか、いくらでも国民同士で協力しあえばできるでしょうに。
高度成長期は魅力的だけど、光と影がでる。
日本人も、今まで何とかかんとか、やってきたけど、決してすべてが良かったわけではない。経済という荒波は、ときに個人のしあわせを犠牲にするのは日本も経てきた道だ。
高度成長~バブルまで、日本がイケイケノリノリだったような表現をされるが、決してそうじゃなく。
そんなうまみはほんの僅か、その裏でどれほどの苦労があったことか。
(ついでに言うが、バブル=ジュリアナ的な映像表現は間違っていると思う。
だいたいジュリアナがあったのは、バブル崩壊後の90年代だし。バブル80年代ってったら、マイケルジャクソンとか、ビリヤードとか、名古屋だとパンクとか(よく知りませんが)、そんな感じ。)
ただ日本人は、根が楽天家というか、あまりグチらず他者も攻撃せず、じぶんたちで努力して乗り越えてしまうことが多いから、なんか苦労が目立たないんですけど。
日本だって、今はまだ再生の途中。
10月いっぱいでトリエンナーレが終わる。
この、街のあちこちがアートで彩られる、躍動しているムードも終わる。
いまは街のあちこちが変身している。
栄のオアシスにあるテントウムシ的な、草間さんの作品。
これは、何かの生き物なのか。動くのか。静かだけど、エネルギーある生命体を思わせる。
ひとびとのエネルギーが、ポジティブに向かうものになるように。
その役割を助けるのが、国家というものであるように、と、願うばかりだ。
どこの国も、まちが、すみずみまで美しくなったら、きっと、みんな仲良くなるよ。
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