2011-08-24

テレビ塔となごや②  と、ちょっとナイトZOO

さてテレビ塔は、名古屋の栄にある。

けっこう遠くからも見られるため、「テレビ塔より (東、西、キタ、ミナミ)」が、場所を説明するときに便利である。

テレビ塔からキタへミナミへとずいずい広がっているのが、セントラルパークと言われる公園。
セントラルパークといわれる地下街もテレビ塔を中心に、地下にある。こちらも広々とした地下街。ファッションが多い。

さて地上にもどろう。
道路も公園も広いため、このあたりは青空がのびのび広がっている。
なごぱんだは、この広々した感が好きである。

このテレビ塔のある、都心なのにのびのびしたエリアは、名古屋のまちの良さである。
ミナミに百貨店がつらなっているので、ぶらぶらして公園で一休み…とか、いろんな楽しみ方ができる、

テレビ塔もシルバーな感じで、品が良い。夜にはライトアップも美しい。
むかしは夜が真っ暗すぎて、歩くと怖いといわれ誰も近づかなかったが、いまは結構明るくなって、歩くひともよく見かける。

さて、お次は、八事よりちょっと北側で目にした塔。
この赤白な感じは東京タワーテイストであるが、こちらは中京テレビさん内にある塔(東山タワーというらしい)である。

中京テレビさんといえば、なつかしきは伝説の「5時SATマガジン」という番組があった。
音楽番組になっていったが、音楽バラエティという感じで、超オモシロかった。
かなり音楽通が喜ぶ、良いアーティストが出演していたような。
その中京テレビさんの現在のとある番組とのコラボらしき(たぶん)壁画を、東山動物園のナイトZOOで見かけた。
けっこうカッチョいい!
みんな知っているようで、写真を撮っていたひとも多かった。

ちなみに奥に見えるのが、東山スカイタワー。
夜の動物園はナイトZOOイベントのみだが、東山スカイタワーはふだんでも、夜も営業されていることが多い。
夜は夜景がキレイです。

さて最後に紹介するのは、ナイトZOOで見かけた、カメさん。
ナイトZOOは毎年いつも混んでいるらしいが、今年もやっぱり混んでいる。
でも暗いから、あんまり混んでいるのも気にならない(熱気で暑いけど)。

むしろ人が多いので、夜祭り的な楽しさがあるし、ただでさえ夜の動物園はアドベンチャー的な楽しさ。

真っ暗な暗闇で見る動物は大迫力だけど、たくさんの人でわいわい見ると楽しいもんです。
そんな、なごぱんだの夏日記でした。

もうすぐ秋。でもまだムシムシしていますが、それでも秋の気配が、名古屋もちょっとずつ訪れてます。

テレビ塔となごや①。

いろいろお騒がせのテレビ。
ずーっと茶の間の友でありつづけたテレビ。
90年代はスマッシュヒットや伝説なドラマや番組を連発し、みんなの帰宅をいそがせたテレビ。

そんなテレビも、時代とともに、ちょっぴり変わってきた。

さいきん話題だったのが、東京で行われた「某テレビ局の韓流ごり押しはちょっとカンベンしてよ」デモ。
日本人はほとんどデモを行わない(お付き合いなものは別)ので、「ついに立ち上がったか!」とビックリである。
もちろん何がしかのひとたち以外、一般市民なので、デモといっても穏やかである。
「不満があるひとたちがどれくらいいるか、集まってみた」という感じである。

デモがはじまった途端、各局かなり韓国テイスト控えた気がしなくもない。

たしかに、80年代以降、ずっと「世界は広い」と世界のアチコチを紹介していたのがテレビの良さのひとつだったのに、ここへきて1年間くらい、おとなりの韓国プロモーション的な色が強すぎているのも事実。

「アジア、北アメリカ、西アメリカ、ヨーロッパ、オセアニア、中東、アフリカ、南極北極…世界はものすっごく広いんだけど…」と、ただでさえ世界のあちこち旅行したひとが多い日本人から見て、さいきんのテレビは物足りないかもしれませぬ。

なんというか、どうせ知るなら日本国内の方が、日本人にとって奥深い文化が多いのだ。
(城文化や、歴史も何層にも渡って、日本の歴史はこまかく見ても、かなり飽きない)

もちろん、「予算がないので、プロモーションすると何らかいいんですよ」とか「韓国よいのですごく盛り上げたいんですよ」といわれれば、「ああ、そうですか…」だが、なんとなく「テレビ君は、日本人を捨てて、他に関心を示してしまったのね…」とココロ変わりした恋人 みたいな感じ。

でもそんな不満がでるというのは、テレビがそれだけ愛されていたということ。

そしてテレビ塔。
 ついに先月7月に地デジ化となり、「テレビ塔どうするんだー」ということが、ちらほら言われているとかいないとか。

寄付金によって何とか運営できないか…も一案あるが、それなら東北支援の方が優先?という声もでそう。

でも名古屋・栄にとってテレビ塔はずっとシンボルだったので、「いなくなるなんて考えもしなかった」という存在でもあります。
(②へつづく)