2011-08-24

テレビ塔となごや①。

いろいろお騒がせのテレビ。
ずーっと茶の間の友でありつづけたテレビ。
90年代はスマッシュヒットや伝説なドラマや番組を連発し、みんなの帰宅をいそがせたテレビ。

そんなテレビも、時代とともに、ちょっぴり変わってきた。

さいきん話題だったのが、東京で行われた「某テレビ局の韓流ごり押しはちょっとカンベンしてよ」デモ。
日本人はほとんどデモを行わない(お付き合いなものは別)ので、「ついに立ち上がったか!」とビックリである。
もちろん何がしかのひとたち以外、一般市民なので、デモといっても穏やかである。
「不満があるひとたちがどれくらいいるか、集まってみた」という感じである。

デモがはじまった途端、各局かなり韓国テイスト控えた気がしなくもない。

たしかに、80年代以降、ずっと「世界は広い」と世界のアチコチを紹介していたのがテレビの良さのひとつだったのに、ここへきて1年間くらい、おとなりの韓国プロモーション的な色が強すぎているのも事実。

「アジア、北アメリカ、西アメリカ、ヨーロッパ、オセアニア、中東、アフリカ、南極北極…世界はものすっごく広いんだけど…」と、ただでさえ世界のあちこち旅行したひとが多い日本人から見て、さいきんのテレビは物足りないかもしれませぬ。

なんというか、どうせ知るなら日本国内の方が、日本人にとって奥深い文化が多いのだ。
(城文化や、歴史も何層にも渡って、日本の歴史はこまかく見ても、かなり飽きない)

もちろん、「予算がないので、プロモーションすると何らかいいんですよ」とか「韓国よいのですごく盛り上げたいんですよ」といわれれば、「ああ、そうですか…」だが、なんとなく「テレビ君は、日本人を捨てて、他に関心を示してしまったのね…」とココロ変わりした恋人 みたいな感じ。

でもそんな不満がでるというのは、テレビがそれだけ愛されていたということ。

そしてテレビ塔。
 ついに先月7月に地デジ化となり、「テレビ塔どうするんだー」ということが、ちらほら言われているとかいないとか。

寄付金によって何とか運営できないか…も一案あるが、それなら東北支援の方が優先?という声もでそう。

でも名古屋・栄にとってテレビ塔はずっとシンボルだったので、「いなくなるなんて考えもしなかった」という存在でもあります。
(②へつづく)

0 件のコメント: